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やがて農場は楽園になる!

執筆者の写真: kousyainfokousyainfo

いずれ、スタッフの誰かが転載してくれたらと願っている。

農業に戻ろう!と思い立って40年歳月が経過した。

何度となく、入り口に立ったし、数十回も脳裏で書き換えた案を総て吐き出した。


本来であれば、自分が代表者でやりたいくらいだったが、なにしろ、高齢者^^;

いつ冥土に召されるやも知れない身ゆえ、話し合いの末、関係者の中から代表者を選任してもらい、無事法人を立ち上げることが出来た。


両親が相次いで他界し、30数年ぶりに帰郷したのが五年前。

両親ともに、90歳を目前に他界した。

さして、仲良しの両親では無かったが母親が後追いしたんであろうと推測。

戦争をくぐった世代にありがちな、家事以外は、男衆の役目と決めつけていた女性だった。


当初は、片付けが終われば居住地に戻るつもりで居た。

が、仲良しの後輩氏が度々訪れ口説かれた。

むろん、そのことだけが理由では無いが、Uターンすることに決めた。

30年以上も離れていると、田舎といえども、皆目わからない。

判ったことは、田園まさに荒れなんとす!状態だったことくらいのもの。


父親の遺品を片付けている中で、彼が寡黙を押し通した彼の青春時代を知った。

12歳で山形県酒田にあった、日満工業専門学校に入り、同じく、山形にあった、満鉄関連会社の日本飛行機に勤務したようだ。

遺品の中に組み立てをしなかったプラモデルの通称九三式練習機赤とんぼが入っていた。


このことも彼の口から聞いたことは無かったが、遺品の中に、舞鶴鎮守府長官名の合格入隊助表なるものがあり、判明した。日付は、昭和19年8月25日とある。

予科練の飛行兵として志願し、美保基地所属とされたようだ。

先立つ6月にマリアナ沖海戦が行われ、日本海軍は空母三隻と艦載機400機を失っている。敗色濃厚な時節に志願入隊したことになる。

大正15年(1925年)生まれゆえ、満年齢で19歳だった。

それまで招集されなかったのは、日飛に在職しており、熟練工も少なかったこともあったのかもしれない。

余談だが、この時期に満州に居た関東軍の一部である水戸2連隊と高崎15連隊は南方のペリリュー島へと移っている。

あの玉砕の島である。このことは何度か。BLOGに書いた。


むろん、地域も含め応召兵、志願兵も多数、それこそ多数含まれている。

こちらも余談だが、そのことを70歳近くまで知らずに居た。小学校の校庭傍らに忠魂碑が建立されているが、誰もそのことを教えてはくれていない。



帰去来の辞の一節が脳裏を過った。

古希間近になって故郷に還る。

文字通り、今浦島状態で数ヶ月は、後輩氏と逢うだけの日々が続く。

彼との密談は数十回にもおよび、よし! 一般社団法人を立ち上げよう!

街づくりの社団にしよう!

彼我の得意分野を事業のコアにしようや!と話し合った。

共通していたのは、脛に傷があることと、公私を常に念頭においていたこと。

私だけで生きるのは容易いこと。

金儲けだけをコアに置く人生であれば、公は考える必要も必然も無い。

が、幸か不幸か両名とも、公私を背中に負うての人生。


爾来四年が経過した。

それこそ、老骨に鞭打った四年間。

その間に盟友の彼は冥土へと旅立った。

甲状腺がんが肺に転移し、59歳の生涯を閉じた。

彼の力を借りて、おこなった、立ち上げのイベントが彼の最後の舞台となった。

そこで行ったのは、循環農業の薦め!

語るより、実践が伝わろうと、自宅の敷地内でボカシの生産工程をおこなった。

父親に子どもの頃、一度だけ云われたことがある。

俺のイノチは拾ったイノチ。ゆえに、オマエサンは拾ったイノチの子。

自分の人生、好きに生きたらいい! 

但し、世間に顔向けが出来ないことだけはするな!と。

これも遺品で知ったことだが、彼は、敗戦時(あえて終戦とは云わない。ボロ負けの敗戦だった)銀河特別攻撃隊のPILOTだった様子。同じ部隊の同僚は飛んでたようだ。


拾ったイノチの子ゆえ、公に生きなければ・・・と念じつづけた70年。

スリランカ人、日本人合計35名に参加いただいた。
右端が盟友、故黒須秀樹氏59歳 彼をのぞけば、ほぼ全員と未だに親交がある。ありがたい。

命がけ!

事業であるから、リスクが生じる。

最大のリスクは金銭リスクになる。

これは組合員や理事、理事会に背負わせるわけには、いかない!

リスクを最小限にし、最大の利益を確保出来るようにするのが小生の役割と心得ている。

自身に言い聞かせている大好きな言葉がある。

むろん、組合員諸兄にも伝え続けている!


車はガソリンで走ります!

人は利で疾走れます!

 人の利は理であり、公理でなければならない!

ここで云う公理は、公のことわりのこと。

後ろ指をさされてはいけない!私欲を貪ってはいけない!の意。







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